糸魚川−静岡構造線,新倉露頭2002/12/24見学記

河本和朗(2003/05/14記)

糸魚川−静岡構造線(地質境界としての糸魚川−静岡構造線)の,国の天然記念物に指定されている山梨県早川町新倉(あらくら)露頭を、2002年12月に見てきたのでレポートします.

1,フォッサマグナ地域の西縁、糸魚川−静岡構造線


糸魚川−静岡構造線ぞいに流れる早川.
西側の赤石山脈の岩石は西南日本の基盤岩である古い岩石.東側の巨摩山地(櫛形山や身延山)はフォッサマグナの新しい岩石.
フォッサマグナと糸魚川−静岡構造線については,
フォッサマグナって何ですか?(フォッサマグナミュージアムホームページ)

2,国天然記念物『糸魚川−静岡構造線新倉露頭』


早川町役場から奈良田へ向かう途中の新倉(あらくら)にある.

3,新倉のトンネル手前の道路標識.


トンネルを抜けるとすぐに,露頭への分岐がある.

4,露頭解説板


内河内川対岸の露頭の位置を示す矢印.
解説板には次のように書かれている.

「糸魚川−静岡構造線、新潟県糸魚川市から長野県諏訪市、山梨県早川町を経て静岡県に達する。日本列島中央部を横断し、東北日本と西南日本を分ける延長250kmにも及ぶ大断層である。ナウマン(H.E.Nauman 1854ー1927)によりフォッサマグナ(Fossa Magna=大きな溝)と名付けられた地域の西側の境界を画する断層である。山梨県早川町新倉の内河内川左岸には、糸魚川ー静岡構造線の逆断層が見事に露出している。断層の西側は先新第三系瀬戸川層群の黒色粘板岩、東側は、新第三系中新統の凝灰岩類からなり、西側の古い地層が東側の新しい地層の上にのし上がっているのが明瞭である。わが国でも第一級の断層である糸魚川−静岡構造線が典型的に見られる場所として貴重である。(指定、平成13年8月13日、文部科学省、山梨県教育委員会、早川町教育委員会)」

一般向けの解説板なのに,専門用語が説明なしに使われているので,用語説明を試みます.
逆断層 :断層面の上側の地層が断層面に沿って上方へずれ動いたように見える断層.
先新第三系 :新第三紀以前の地層.新第三紀の地層を新第三「系」と言い,それより古い地層なので「先」新第三系.
新第三紀 :地質的な時代区分.恐竜やアンモナイトが栄えた中生代は約6500万年前に終わり,それ以後の現在までの時代を「新生代」と言う.新生代は時間的には大部分を占める6500万年前〜約180万年前を「第三紀」,それ以後の時代を「第四紀」と言う(研究者により第三紀と第四紀の境界とする年代は200万年〜160万年前の間で異なる).新第三紀は約2500万年前を境に「古第三紀」と「新第三紀」に分けられる.古第三紀は古い方から「暁新世」「始新世」「漸新世」に,新第三紀は古い方から「中新世」「鮮新世」に細分される.第四紀のほとんどは「更新世(旧名は洪積世)」で,1万年前〜現在は「完新世(旧名は沖積世)」と呼ばれる.新第三紀中新世には,日本列島の地史上,日本列島の骨格をつくっている地質体がアジア大陸から離れて太平洋に向かって移動し,大陸との間に日本海ができ,日本列島が島になるいう大変動がおこった.
瀬戸川層群(四万十帯瀬戸川層群) :赤石山脈の東縁をなす地層.日本列島の骨格のうち最も太平洋側を造っているのは白亜紀〜古第三紀の四万十帯で,瀬戸川層群はその最も若い部分に属する.なお四万十は四国の四万十川から.瀬戸川は赤石山脈から藤枝・焼津へ流れる川の名.
新第三系中新統 :新第三紀中新世の地層.時代区分の「代」「紀」「世」に対し,その時代の地層は代には「界」,紀には「系」,世には「統」を用いる.たとえば中生代白亜紀の地層は中世界白亜系というように.
つまり
“断層の西側は新生代新第三紀よりも古い四万十帯瀬戸川層群の黒色粘板岩、東側はフォッサマグナ地域の新生代新第三紀中新世の凝灰岩類からなり、西側の古い地層が東側の新しい地層の上にのし上がっているのが明瞭である”
※田中秀実さん(東大)によれば、フォッサマグナ側の岩石は凝灰岩であるか溶岩であるか不明とのこと。以下、ここでは「塩基性溶岩または火砕岩」と記します。

5,地質境界断層


おおむね断層の走向方向から見ている.
奥に見える上盤側は、西南日本基盤岩の四万十帯瀬戸川層群.
手前に見える下盤側は、南部フォッサマグナの巨摩層群塩基性溶岩または火砕岩.
古い地層が新しい地層にのし上げている逆断層.

(地質調査所20万分の1地質図『甲府』では,瀬戸川層群の年代は前期中新世初期としている.巨摩層群の年代は,西八代層群相当層にまとめて中期中新世としている.いずれにせよ,前期中新世初期には日本列島はまだアジア大陸の一部であり,中期中新世は日本海拡大の大変動期にあたる.日本海拡大にともない,長野〜新潟の「北部フォッサマグナ」では日本列島の骨格をなす基盤岩の大規模な沈降が生じ,山梨〜静岡東部〜神奈川西部の「南部フォッサマグナ」では,当時の伊豆−小笠原列島の先端部分である櫛形ブロックとの激しい衝突が起こった.)

6,断層鏡肌


写真5で「地質境界断層」と記した位置から,断層面を矢印の方向に見上げた.
断層面の上盤側は瀬戸川層群の粘板岩,ハンマー付近に見えている.
粘板岩は強く破砕され,破砕部分で断層面に沿って崩落している.
そのため下盤側の,巨摩層群の溶岩または火砕岩が露出している.
巨摩層群側は断層面に沿って鏡肌になっている.

(岩相は,小山彰『山梨県早川沿いの糸魚川−静岡構造線』地質学雑誌90巻1号(1984年1月)によれば,上盤側は瀬戸川層群雨畑川累層の頁岩〜千枚岩,下盤側は巨摩層群櫛形山亜層仙城層の緑色の凝灰岩および火山礫凝灰岩.頁岩はペラペラにはげやすい泥質岩.地温が高い地下深部で温度と圧力の影響を受けると変成鉱物が生じ粘板岩になる.粘板岩の変成再結晶が進むと千枚岩,もっと進むと黒色結晶片岩になる.ここでは,頁岩〜千枚岩を代表させて「粘板岩」と記した.フォッサマグナ側は,緑色を帯びた安山岩質〜玄武岩質(中性〜塩基性)の海底火山噴出物で,「塩基性溶岩または火砕岩」と記した.)

7,走向方向から見た糸静線


内河内川の橋の上から撮影「写真11」と記した位置の岩石をはじめ,赤点線の左側の暗灰色の岩石を,瀬戸川層群の砂岩と判断した.
河床の転石は,緑色岩の巨れきが多い.地質図を見ると瀬戸川層群西縁に緑色岩が分布しているので,その転石か?

8,瀬戸川層群の砂岩泥岩互層


画像7の「写真8,9」の位置の露岩.「7」画像では草に隠れて見えない.

9,写真8の露岩を上方から撮影


層理面の姿勢:N14°W,66°W
層理面の走向に対し,断層面は反時計回りに斜交している.

10,巨摩層群塩基性溶岩または火砕岩


画像7の「写真10」の露岩.矢印の方向から撮影.

11,瀬戸川層群砂岩と巨摩層群塩基性溶岩または火砕岩の地質境界


画像7の「写真11」の位置
全体的な逆断層の剪断方向(Y)を示す面構造(P)とリーデル剪断面(R1)

12,カタクレーサイト(断層破砕岩)


画像11と同一地点.メジャーの長さは2m.

小山(1984)は、写真5の露頭について「断層面の東側50cm間は,断層角礫帯となっている.これは,基質が,黒灰色〜緑灰色の固結ないし半固結した断層粘土からなる.この中に,非常にもまれた黒色頁岩や緑色を帯びた凝灰岩の角〜亜角礫(最大30cm)が不規則に入っている」と記している.しかし,この部分では粉砕部分も完全に固結し,断層粘土化した履歴があるか分からなかった.多量に含まれる岩片は,やや丸みを帯びた亜角礫が多く,ルーペで見たかぎりでは凝灰岩ではなく細粒の砂岩に見えた」と述べている.

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