2004年10月23日、新潟県中越地震の背景

update2004/10/30

(1)信濃川地震帯

新潟平野〜長野盆地〜松本盆地にかけての信濃川に沿う地震多発帯は「信濃川地震帯」と呼ばれています。この帯状の地域には、第四紀の地形面に多数の活断層や活褶曲が見られます。
下の図は、旧通産省地質調査所が1979年に発行した「信越地域活構造図」の一部です。もとの図は、新潟から松本盆地までの全域をカバーしています。 地質調査総合センター地質図カタログのページ の「構造図(活断層ストリップマップ)」に購入方法が載っています。

図右側に凡例をコピーしました。「向斜軸」とは褶曲の凹型の谷状の部分、「背斜軸」とは褶曲の凸型の尾根状の部分です。東頚城(くびき)丘陵や魚沼丘陵には、北東−南西方向ないし北北東−南南西方向に延びる丘と窪地が何列も続いています。波長1km〜5kmでうねうねと波打つ「活褶曲」が発達しているためです。背斜軸にあたる丘陵の稜線部では上位の地層が削剥されて、下位の地層が顔を出しています。長岡〜柏崎間の信越線や越後線は、北東−南西方向に向斜軸の窪地を進み、90度向きを変えてトンネルや切り通しで背斜軸の丘を横断し、また90度向きを変えて向斜軸の窪地を進んで行きます。図の右側には「構造線」という文字が見えますが、これはフォッサマグナ地域の東縁を画する「新発田−小出構造線」です(後述)。信濃川や魚沼川も、これらの地質構造に沿って流れています。新発田−小出構造線に沿って、第四紀の地形をずらした活断層として、北の新発田付近の月岡断層・村松断層、小出の南方延長に石打断層が見られます。1995年には月岡断層付近で被害地震が発生しています。今回の地震も、この新発田−小出構造線のすぐ西側で発生しました。

小規模な地形のたわみ(撓曲)は各地に見られますが、このように活褶曲が発達しているのは日本列島中でもここだけです。それは、この地域は、まだ固結しきっていない新第三紀の堆積層が数1000m以上も厚く堆積した「北部フォッサマグナ」という地域であることと関係があると思われます。柔らかい新第三紀層に厚く覆われているために、その下の硬い岩盤に生じた断層が地表まで段差として届かず、うねるような褶曲として現れている可能性があります。褶曲軸と平行な小規模な活断層は、ところどころに見られます。長野盆地と北西側の山地との境は顕著な活断層になっています。

これらの活褶曲は、褶曲軸に直交する向きに押す力によって生じます。つまりこの地域では第四紀という現在の時代に、北北西−東南東方向ないし北西−南東方向に押され、地殻が短縮し、表層の厚い新第三紀層にしわが寄って活褶曲になっていると考えられます。しかし、隆起と沈降が細かくくりかえす構造は、この地域特有な理由があるのかもしれません。

フォッサマグナ地域と信濃川地震帯や糸魚川−静岡構造線活断層系の関係については、 フォッサマグナミュージアムホームページ「フォッサマグナと地震」 に、分かりやすい説明があります。

(2)新潟−神戸高歪速度集中帯(新潟−神戸構造帯)

上の図の緑線で囲った範囲は、GPS衛星の電波を使った電子基準点間の測量により、距離短縮がとくに速いことが分かった領域です。1997年1月から99年12月にかけての測定結果です。3年間のデータだけからは、これが一時的な現象か長期的なものかは分かりませんが、100年間の三角測量の結果とも矛盾しないとされています。信濃川地震帯は、この中に含まれます。

上の写真は大鹿村中央構造線博物館を裏側から見たものです。建物の左側に、頭に半球形の白いカバーがついた銀色の柱があります。これが国土地理院のGPS電子基準点(No.959275大鹿基準点)です。全国に約1200基配置され、基準点間の距離変化を常時観測しています。

上の図は、大鹿基準点から見た、各地の基準点の移動方向と移動距離を示したものです。大鹿から見て東の関東も、北西の北陸も、大鹿に近づいています。つまり本州中央部は東西に短縮しています。この図の矢印の向きは、大鹿に対する向きなので、あまり意味はありません。2つの観測点の矢印が同じ向きを向いていても、2点の矢印の長さの差に注目してください。それがその2点間の距離変化を表しています。そうして見ると、本州だけでなく、南九州と沖縄を除く日本列島内陸は、どこでも東西に短縮しています。このデータを取った1996/6-2000/5には大きな地震が起こっていないので、この日本列島の変形は、非地震性の長期的な変形の傾向を示していると考えられます。ただし南海トラフ沿いのプレート境界地震発生域に近い東海地方〜紀伊半島南部〜南四国は、沈み込んだフィリピン海プレートに引きずられて北西方向に短縮しています。この変形はプレート境界型地震発生時に逆向きに大きく戻って解消されると考えられます。

そこで、2003年10月から1年間の福井と東京の世田谷の距離変化を見たのが上のグラフです。変動ベクトル図や距離変化グラフは 国土地理院ホームページ「最新の地殻変動情報」 からダウンロードできます

毎日の測定結果には気象条件などによるバラツキがあるのですが、グラフの左端と右端の平均値を比較しますと1年間に3cm余り変化しています。左端のプラスから右端のマイナスへ右下がりのグラフになっていますから東京と福井は1年間に3cm余り近づいたことになります。両地点の距離は327.11kmです。1年間に距離100kmについて1cmですね。南九州と沖縄をのぞく日本列島の内陸部は、だいたいこの程度の速度で東西方向に短縮変形しています。

「歪み(ひずみ)」とは変形率のことです。長さ歪み、面積歪み、体積歪みがありますが、上の図は長さ歪みの説明です。岩盤に加わる外力により、時間tをかけて、長さl(エル)がl'(エルダッシュ)に変化したとします。このときの変化分Δl(デルタエル)のもとの長さlとの割合Δl÷lを「歪み」といいます。どのぐらいの時間をかけて変形が生じているのかを表す(Δl÷l)÷tを「歪み速度」といいます。

1年間に東京と福井の距離約300kmが約3cm近づいているのですから、この期間の日本列島の歪みは3cm÷300km=3cm÷30000000cm=1000万分の1(10のマイナス7乗)=0.1ppm。歪み速度は1年間に1000万分の1(10のマイナス7乗/年)になります。日本列島の内陸の平均的な変形速度は、だいたいこのぐらいです。ただし太平洋沿岸のプレート境界型地震発生域では、地震間の歪み速度はずっと大きくなっています。

ところが、1997年から3年間のGPSによる地表の距離変化データから、新潟〜信濃川地震帯〜飛騨地方〜琵琶湖〜神戸を結ぶ幅数10〜200kmの領域では、歪み速度が周囲より数倍程度大きいことが分かりました。これは東北日本の日本海側沖合いで、日本海の海底が東北日本の下に沈みこむプレート境界とされる領域の、日本列島内陸への延長と考えられます。そこで「新潟−神戸構造帯」と呼ばれることもあります。しかし、大規模な地質ブロックの境界や、第四紀の大地形を造ってきた地塊の境界とは、あまり合っていないように見えることから、ここでは観測事実そのままに「高歪み速度帯」と紹介します。しかし、今回の中越地震を機会に、「新潟−神戸高歪み速度帯」の意味が、よりいっそう問われることになると思います。 名古屋大学の鷺谷 威助教授のホームページ に、分かりやすい が載っています。その図ではNKTZ:新潟−神戸構造帯、ISTL:糸魚川−静岡構造線、MTL:中央構造線という記号で示されています。

(3)北部フォッサマグナ

今回の中越地震の本震の規模はマグニチュード6.8だったと発表されています。2000年鳥取県西部地震は同じような内陸の浅い場所で発生した地震で気象庁マグニチュードは7.2でした。しかし、被害は今回の中越地震の方がはるかに大きいものになっています。とくに地盤の変状が目立ちます。これは、鳥取県西部地震が発生した地域が約6000万年前の硬い花崗岩が地表まで露出した地域だったのにたいし、中越地震が発生した地域は500万〜200万年前の若い地層が数1000mも厚く堆積した「北部ファッサマグナ」という特殊な地域であることが大きな理由であると思います。

「ファッサマグナ」という語は「大きな窪」あるいは「大きな溝」という意味です。誤用されていますが、正しくは西南日本の骨格となっている古い岩盤が新第三紀中新世(2500万〜500万年前)に大きく沈降し、当時の海底に堆積した地層で厚く埋積された地域のことです。その西側の、古い岩石が露出している地域との境界断層が糸魚川−静岡構造線です。ファッサマグナ地域の東側の境界は、もっと新しい第四紀の地層や火山の下に隠れていてよく分かりませんが、柏崎と千葉または銚子を結ぶ線付近だと考えられています。また新潟県の部分では、新発田−小出線を東縁とする考え方もあります。このホームページでは、その考え方に従って記述しています。下の図は糸魚川市のフォッサマグナミュージアムのホームページからダウンロードしたものです。 フォッサマグナミュージアムホームページ「フォッサマグナって何?」 の説明をごらんください。図のように、新潟県の西山丘陵や新潟平野の油田地帯では、石油探査のために6000mの深さまでボーリングしても、硬い岩盤に達しません。

このような固結が弱い地層が数1000mも堆積した構造は、この地域が新第三紀に強い引っ張りの場になったためです。古第三紀までは日本列島はアジア大陸の一部として形成されました。新第三紀の2000万年〜1200万年前にかけて、西南日本は時計回りに東北日本は反時計回りに回転しながら大陸から太平洋に向かって移動し、大陸との間に日本海ができました。このとき折れ目になった地域には引張力が働き、日本列島の骨格が深く沈降して、北部フォッサマグナができました。しかし日本海の拡大は1200万年前に終了しました。第四紀の現在の日本列島は、GPSで見るように東南東−西北西圧縮の場になっているわけです。次の図は、産業技術総合研究所地質調査総合センター編集『地質ニュース』2003年3月号の「日本海はどうしてできた?−日本海の海底地質−(片山 肇・岡村行信・池原 研・中嶋 健・辻野 匠・野田 篤)」に掲載された図に加筆したものです。1200万年前の図で日本列島中央部を横断する白抜きの部分が、ほぼフォッサマグナ地域になります。『地質ニュース』については、 産業技術総合研究所地質標本館ホームページ を見てください。

(4)北西−南東圧縮による逆断層運動

最近の内陸の浅い地殻上部で発生した被害地震、1984年長野県西部地震(M6.8)、1995年兵庫県南部地震(M7.3)、2000年鳥取県西部地震(M7.2)、2003年宮城県北部の地震(M6.3)、今回の新潟中越地震(M6.8)は、前3者の震源断層は横ずれ断層、後2者は逆断層というちがいはありますが、いずれも東西ないし北西−南東方向の圧縮によるものです。

下の図は、防災科学技術研究所ホームページに掲載されている図です。説明は、 防災科学技術研究所ホームページの高感度地震観測網のページ を開き、「新潟県中越地震の特集」を開いてごらん下さい。

図には、地表の地震計で観測された地震動から推定された、本震と大きな余震の震源断層の位置や向き、震源断層を動かした力がかかった方向が示されています。この震源球を使った発震メカニズムの表現は、気象庁発表をはじめ多くの場面で出てきますので、少し説明します。

「歪み」と「歪み速度」については、すでに述べました。

あまり大きな力でなければ、外力を加えて押し縮められたバネは、外力を取り去ると元に戻ります。このような変形を「弾性変形」といいます。このとき、外力とつりあいをとるために物体の内部に生じている力を「応力」といいます。応力の大きさは物体内部の断面の、単位面積あたりに生じる力の大きさで表します。単位は1平方メートルあたり1ニュートン(N)の力が加わるときの圧力であるパスカル(Pa)。冷たくて固い岩石は、ある限界内ならば弾性変形します。

外力の向きに直交する断面には最大の圧縮応力がかかっています。外力の向きに平行な断面では、この図では割れ目を作るような引張り応力になっていますが、現実の地下の岩盤では四方八方から岩圧がかかっているので、通常は最小圧縮応力になります。最大圧縮応力と最小圧縮応力の差を「差応力」といいます。

歪みが蓄積する、つまり変形が大きくなると、応力も大きくなります。差応力が岩盤の強度の限界を超えると、ずれ破壊、つまり断層運動が生じます。このときの断層面の角度やずれの向きは、応力の向きによって決まります。ふつうは最大圧縮応力の向き(応力軸といいます)をσ(シグマ)1、最小圧縮応力軸をσ3、両者に直交する中間圧縮応力軸をσ2と書きます。図のいちばん上の逆断層の場合は、図の左右方向からσ1、上下方向からσ3、手前−奥の方向からσ2の応力がかかってできます。

断層の方は、断層面の上側(上盤)が上へ押し上げたものを「逆断層」、向こう側が左へ動いたものを「左横ずれ断層」、右へ動いたものを「右横ずれ断層」、上盤が下へすべり落ちたものを「正断層」といいます。

上の図を見れば、応力の向きと断層面のでき方やずれ方の関係がよく分かるでしょう。図のように、断層面は2通りにできる可能性があります。この1組を「共役(きょうやく)断層」といいます。どちらになるかは既存の弱面の向きなどの別な条件によります。(じっさいには最大圧縮応力の向きに対して45度ではなく30度ぐらいの角度で断層面ができます。それについては 坂口有人さんのホームページ に解説があります。とても分かりやすいホームページなので絶賛おすすめします。)

この図は、断層面のずれ動きにより、周囲の岩盤がどちらに動かされるかを示しています。1組の共役断層のどちらが動いても、周囲の岩盤は同じ向きに動かされます。矢印は、断層運動の結果、近くの岩盤が最初に動かされる向きを示しています。黒矢印の領域では押し、白矢印の領域では引きになります。この動きにより、岩盤の振動が生じます。

地震波は、岩盤や地表面の振動が移動していく現象です。進行方向に平行な向きの振動が移動していくものを縦波といい、進行方向に直交する向きの振動が移動していくものを横波といいます。縦波は伝播速度が速く最初に地表面に到達するので、primary(初めに)の頭文字からP波、横波は伝播速度が遅く遅れて地表面に到達するので、secondary(2番目に)の頭文字からS波といいます。 http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj2000/30295/mechanism/earthquake/pands.html に分かりやすいアニメがあります。トップページから「地震波」のページへ進み、「地震波のアニメーション」をごらんください。函館中部高校の高校生が作ったページですが、たいへんよくできています。

P波は疎密波です。岩石が伸びたり縮んだりという体積変化が伝わっていきます。図の左端のA点の振動が、C点の方へ伝わっていきます。このときA点の振動が最初に右へ動いて始まる場合は、C点の振動も初めに右へ動いて始まります。A点が左向きに動いて振動が始まるときには、C点の振動も左向きの動きから始まります。A点を震源、C点を地表としますと、地表で観測される地震動(揺れ)の初動(最初の動き)が、震源方向から押されたものであるか引かれたものであるかが分かれば、震源付近での岩盤の初動も分かるというわけです。

地震波の伝播速度は、密度が大きい地下深部の岩盤中では速く、地表近くのやわらかい堆積層中では遅くなります。そこで、地震波は伝播速度が速い方から遅い方へ屈折し、地表に到達するときには、ほぼ真下から入射します。そこで地表で観測されるP波の初動は、押し上げられるか引き下げられるかになります。

ここで、震源を囲む仮想的な「震源球」を考えます。地表で観測された初動の極性(押し引き)を、地震波伝播経路を推定して逆にたどり、震源球の上に記します。多くの地点で観測された初動から、震源球上の初動分布を推定します。ふつうは、初動が押しの領域を黒、引きの領域を白で表します。

震源球で、震源から押された領域と引かれた領域の境界面を「節面」といいます。節面は2つあります。2つの節面が1組の共役断層面にほぼ一致します。しかしどちらが震源断層面なのかは、P波初動分布だけからでは分かりません。

まぎらわしいのですが、断層運動の結果として初動が「押し」になった領域は、断層運動の原因である応力は「引き(引張応力または最小圧縮応力)」の領域になります。初動が「引き」になった領域は、応力は「押し(最大圧縮応力)」の領域になります。

ところで断層面の3次元の位置を「姿勢」といい、左上の図のように「走向」と「傾斜」で表します。走向とは、断層面と水平面との交線と、北を指す線との角度です。地震学では図の矢印の向きとは異なり北から時計回りに測ります。傾斜は、水平面から傾き下がっている角度です。

右上には、スイカの下半分を断層面が切っているような図が書いてあります。断層面がスイカの皮を切ったところに太線の曲線ができます。

下左の図は、このスイカを上から見通したところです。スイカの下に紙を置いて、断層面とスイカの皮との交線を紙の上に写しとれば、立体的な断層面の姿勢を紙の上に表現できます。これを「下半球投影」といいます。スイカの切り口に紙を置いた描き方を「ウルフネット下半球投影」といい、角度が正しく表されます。スイカの下に紙を置いた描き方を「シュミットネット下半球投影」といい、面積が正しく表されます。

下右の図は、この方法で断層面の姿勢を紙に表したものです。スイカを上から見て、右上から左下に断層面が切っている姿を思い浮かべてください。そこで、スイカを震源球の下半分に置き換えたのが、次の図です。

そこで、はじめのカラーの図に戻ります。左の褐色の震源球は震源(破壊開始点)からの地震波から解析した発震機構、右の青色の震源球は震源断層が最も大きくずれ動いた部分から放出された長周期の地震波から解析された発震機構です。本震(@)をはじめ主な余震も北東−南西走向の逆断層だったことを示しています。つまり北西−南東方向の圧縮応力により発生した地震であることが分かります。

これだけでは北西傾斜と南東傾斜の2枚の断層面候補のうち、どちらの姿勢の断層だったのかは分かりません。

図は10月24日20時45分の 国土地理院の記者発表(第3報) の資料です。震源断層西側の小千谷市の電子基準点が約24cm隆起、東側の守門村の電子基準点が約9cm沈降、大和町の電子基準点も約4cm沈降したことが分かり、北西傾斜の断層面候補の方が、震源断層であったことが分かりました。つまり北西側から南東側にのし上げたわけです。本震発生からしばらくは電話回線の不通で震源断層近傍の観測点からのデータが得られず、不十分なデータから東上がり西落ちの断層運動であるかもしれないと発表されましたが、まもなく訂正されました。

第5報 によれば、10月27日10時40分の余震は、南東傾斜だったそうです。南東から北西へのし上げたわけです。

(5)地盤変動

最後に 国際航業株式会社の空中写真のページ をご紹介します。崩壊地の写真と(地盤)災害状況図です。大きな被害の背景に北部フォッサマグナ地域の分厚い新第三紀層による斜面崩壊の激しさがあることは明らかです。同じフォッサマグナ地域で発生した1847年善光寺地震では、崩壊による土石が犀川本流を堰き止め、20日後に決壊して長野盆地を洪水が襲いました。ただし松代藩による住民避難が成功し、この洪水による人命の被害は極めて少なかったそうです(赤羽貞幸『善光寺地震(1847年)大規模な山地崩壊とその二次的災害』サイスモ2004年8月号)。中越地震も、今後も崩壊や土石流の発生が予想されます。 inserted by FC2 system