第四紀は,1万1700年前を境に“更新世”と“完新世”に分けられ,更新世は,78万年前と12万6000年前を境に,前期・中期・後期に分けられます。ただし78万年前と12万6000年前という境界については,「暫定」とされています。
図1-1
新生代第四紀は,氷河と人類の存在が特徴的な時代とされてきました。
かつては人類の登場を第四紀の始まりとしたこともありました。しかし今では,古いタイプの人類(猿人)の化石は700万年前のものまで発見されています。
今回の改訂で第四紀の始まりとされた260万年前ごろには,食糧を固い根茎類まで広げた頑丈型猿人と肉食を取り入れた華奢型猿人が現れ,原人(ホモ・ハビリス)が登場するなど,人類が多様な種に分化しました。
今まで発見された最古の石器もこのころのものです。雑食と石器の使用は適応できる環境の幅を広げ,寒冷化・乾燥化が進み寒暖の変化が大きくなった第四紀を通じて人類は世界中に広がっていきました。
なお現在の人類は20万年前に登場したホモ・サピエンス・サピエンス種だけが生き残り,他の人類は絶滅しました。
パナマ地峡の陸化とメキシコ湾流の始まり
改訂された第四紀の始まりのころ,約270万年前に南北アメリカ大陸をつなぐパナマ地峡が陸化しました。このため,大西洋から太平洋に暖流が流れなくなり,北アメリカの東岸を北上して北大西洋北部に達する今のメキシコ湾流が始まりました。
このころからグリーンランド周辺の海底の堆積物に,陸の氷床から押し出された氷山が運んだ岩屑が混じるようになり,北半球にも氷床が存在し始めたことが分かりました。
冬のアジア・モンスーンの強化
日本列島を含む東アジア〜南アジアは,夏は海洋からの温かく湿った風が吹き,冬は内陸からの冷たく乾いた風が吹くモンスーン気候が特徴的です。このアジア・モンスーンは,ヒマラヤとチベットの隆起によりユーラシア大陸の内陸部が海洋からの湿った大気から分断されて始まったと考えられています。
第四紀の始まりに改訂された260万年前ごろから黄土高原に黄土の堆積が始まりました。
黄土は砂漠地帯から強風で運ばれた風塵です。これは内陸の乾燥化が進んだことと,冬のモンスーン(季節風)が強まったことを示しています。
酸素同位体比(海水中の重い酸素原子の割合)
図2-1
酸素原子の大部分は陽子と中性子を合わせた数が16個の酸素16ですが,中性子が2個多い酸素18がわずかに含まれます。その比率を酸素同位体比と言います。
図2-1は,海底に堆積した微生物の殻の酸素同位体比の堆積年代による変化を示したもので,それぞれの時代に微生物が海水から取り込んだ酸素18の割合を示しています。
水温が低いと生物が取り込む酸素18の割合が増えます。しかしそれ以上に,それぞれの時代の海水そのものの酸素同位体比の変化が強く現れています。
酸素18が結合した重い水は蒸発しにくいため,水蒸気→雲→雪を経由して氷床を造っている氷に含まれる重い水(氷)の割合は,海水中の重い水の割合より少なくなります。
氷床が増えると,その分だけ海水の体積が減るため,残った海水中の重い水の割合が多くなります。したがって,このグラフには地球全体の氷床の増減が表れています。
大陸氷床の拡大
南極大陸には3500万年前ごろから氷床がありました。
270万年前ごろにパナマ地峡が閉じてメキシコ湾流が流れ始めたころから,地球全体の氷床量が増えています。
そのころから北半球にも大陸氷床が存在するようになりましたが,暖かいメキシコ湾流が北大西洋へ流れて水蒸気を発生させ雪が増えて氷床ができたのか,氷床が拡大して海面が下がったためにパナマ地峡が閉じたのか,因果関係については考えが分かれています。
また,同じころから氷床が拡大する氷期(ひょうき)と縮小する間氷期(かんぴょうき)のサイクルが目立つようになります。その周期は80万年前ごろまでは4万1000年,それ以後は10万年周期に変わり,寒暖の変動幅も大きくなっています。
海水準変動
氷床が増加すると海水が減少しますから,氷期には海面が下がり間氷期には海面が上がります。したがって,図2-1は,ほぼ海面の上下変動を表しています。
これを氷河性海水準変動と言います。海水準が低い時期を“海退期”,高い時期を“海進期”と言います。最近の数十万年間では,海退期と海進期の海面の高さの差は120m〜200mに及んでいます。
300万年前ごろから80万年前ごろにかけて,海退と海進をくりかえしながら,平均的にも海面が下がっています。
80万年前ごろからは海退期と海進期の海水準の差が大きくなっています。
ユーラシア内陸の乾燥化と冬のモンスーンの激化
図2-2
図2-2は,中国の黄土高原の地層の,各地の柱状断面をまとめたものです。
黄土高原には,草原に暮らした大型の三趾馬(ヒッパリオン)の化石を産する紅粘土層の上に,砂漠地帯から冬のモンスーンで運ばれた黄土(レス)と黄土が風化した古土壌がくりかえす厚い堆積層があります。
黄土の堆積は260万年前ごろに始まっているので,そのころから冬のモンスーンが強くなるとともに,乾燥化が進んだことが分かります。
また,黄土層と古土壌層が周期的にくりかえしています。
黄土が多く堆積するのは乾燥した冬のモンスーンが強い寒冷な冬がくりかえされた寒冷期,古土壌への風化が進んだのは湿気を含む夏のモンスーンが強い温かい夏がくりかえされた温暖期と考えられることから,寒冷期と温暖期の数万年周期のくりかえしを示すと考えられています。
そのパターンは,深海底の微生物化石の酸素同位体比から得られた氷期と間氷期のサイクルと良く一致しています。
※地球磁場の逆転
図2-2の左右の白黒のものさしは地球磁場の逆転史を示しています。
火山岩に含まれる磁鉄鉱などが磁性が現れる温度まで冷えると,そのときの地球磁場の方向に磁化されます。また磁鉄鉱などがゆっくり堆積するときに地球磁場の向きに揃って堆積します。このような岩石の残留磁気から,当時の地球磁場の向きを知ることができます。
その結果,地球磁場の南北はおよそ数10万年に1度,逆転をくりかえしてきたことが分かりました。地球磁場が現在の南北と同じ向きの期間を正磁極期,逆向きの期間を逆磁極期といいます。
いろいろな時代の岩石の残留磁気が調べられ逆転史のものさしが作られています。逆転は不規則で長期間逆転が無かった時代もありました。また逆転が起きるときには磁場がしだいに弱くなって消滅したのち反対向きの磁場がしだいに強くなることや, 1000年程度で逆転が終了することなどが分かってきました。
地球磁場の発生源は中心核にあり逆転は全地球規模で同時に生じます。そこで,地層に残された地球磁場の逆転の痕跡は,離れた場所にある地層どうしの同じ時間面の目印になります。
※相対年代と放射年代
地球史の年代区分には,おもに地層に含まれる動物化石の種や分類群の交代が用いられます。化石群による年代区分は,時代の特徴と新旧の順序を表すので“相対年代”といいます。
一方,「××万年」というような数字で決められる年代を“放射年代”と言います。
放射年代は,不安定な放射性核種の原子核が,放射線を出しながら決まった速さで崩壊して安定した原子核に変わっていく現象を利用して求めます。もとの核種の半分が崩壊する時間を半減期と言います。たとえばカリウム40では12億7700万年,ウラン238では約45億年です。
たとえば花崗岩マグマが固結し結晶が冷えると,カリウム40が崩壊してできるアルゴン40も閉じ込められるようになり,カリウム40とアルゴン40の比率からアルゴン40が閉じ込められてからの時間を知ることが出来ます。
このようにして多くの岩体の放射年代を調べ,それらとの関係で堆積岩の放射年代を推定し,相対年代に放射年代の数字を入れていきます。
試料の採取方法や測定方法が改善されて誤差が少ない数値が得られたり,新しい測定方法が考え出されてそれまで測れなかった現象の年代(たとえば花崗岩の冷却年代ではなく固結年代)が分かるなど,新しい情報により年代区分の放射年代の数字は修正されます。
図3-1
ヨーロッパアルプスの山岳氷河が前進と後退をくりかえしていたことは,氷河が残した谷地形の解析から19世紀末には知られていました。
1930年にセルビアのミランコビッチは,北半球高緯度地方の夏の気温の変動が,前の冬の雪が融けるか残るかということに影響し,氷床の消長に深く関わると考えました。
そして,その周期的な変化の原因が,地球の自転軸と公転軌道の周期的な変化による太陽放射量の変化にあると考え,北半球の北緯65°(北極圏の南縁の少し南側)の夏の大気上層の日射量の変化を60万年前までさかのぼって求めて太陽放射量曲線として表し,10万年周期の変動を明らかにしました。
この,地球の自転軸の歳差運動(首振り),自転軸の傾きの変化,公転軌道の離心率(楕円軌道の形を決める要素のひとつ)の変化という3つの要因により、日射量が変動する周期をミランコビッチ・サイクルと言います。
図2-1の有孔虫化石の酸素同位体比から得られた70万年前以降の10万年周期の氷期‐間氷期サイクルは,ミランコビッチ・サイクルとよく合っています。
70万年前より前に4万1000年サイクルが強く現れている理由は未解明です。
ミランコビッチ・サイクルの増幅
一方,日射量の変化だけでは,氷期と間氷期の大きな気候変動の幅をもたらすには不十分とされています。
ミランコビッチ・サイクルを増幅して大きな気候変動をもたらす最大の原因と考えられているのが氷床の拡大と縮小そのものです。
大陸が白い氷床に覆われると太陽照射が反射され,地面に吸収される熱量が減ってしまいます。これを“アルビノ効果”と言います。
氷床ができるとアルビノ効果のため地温が上がらず,いっそう氷床が広がります。氷床の存在が氷床の成長を加速するので“正のフィードバック”と言います。
氷床が縮小するときも同様で,氷床が融けて暗色の地表面が露出すると太陽照射の吸収率が上がり氷床の融解がいっそう進みます。
最終間氷期・最終氷期・後氷期(こうひょうき)
図3-2
図3-2は,最近30万年間の海底堆積物の酸素同位体比をまとめたもので,図2-1の最新の部分にあたります。図2-1で説明したように,この曲線は氷床の量を示しています。
氷期と間氷期の境界は決まっていませんが,この図では酸素同位体比が現在と同じ値になる位置で色分けされています。
現在は間氷期にあたりますが,次の氷期が来ないと「間」の字は使えないので“後氷期(こうひょうき)”と呼んでいます。
その直前の氷期は“最終氷期”と呼んでいますが「これで氷河時代は終わり」という意味ではありません。図5で「MIS3」と書かれた期間は最終氷期の中の氷床縮小期(温暖な期間)にあたります。
その前の間氷期は,間氷期としては最新のものなので“最終間氷期”と呼ばれています。
ゆっくり進む寒冷化と急激な温暖化
中期更新世の始まりは78万年前(暫定)に決められていますが,そのころから10万年周期のミランコビッチ・サイクルが卓越するとともに,氷期と間氷期の振幅が激しくなっています。
その1サイクルの中での氷床量の変化を見ると,過去70万年間のすべてのサイクルで,少しずつ氷床が増えて氷床量の極大期に達し,続けて急速に融解して間氷期の最温暖期に達し,再びゆっくり氷床量が増していくという「鋸の刃のような変動」になっています。
氷期や間氷期の中の小寒冷期(亜氷期)‐小温暖期(亜間氷期)のくりかえしでも鋸の刃のような変動になっています。
たとえばグリーンランドでは,約10℃の突然の温暖化に続いてゆるやかに寒冷化する“ダンスガード‐オシュガー・イベント”と呼ばれる1000年〜3000年周期の変動が,最終間氷期と後氷期の間の10万年間に24回くりかえされたことが,氷床のボーリング・コアの解析で分かっています。
氷床拡大時よりも氷床縮小時の方が正のフィードバックが強く働き,氷床の縮小の方が一気に進むのかもしれません
。
後期更新世は12万6000年前(暫定)〜1万1700年前(西暦2000年基準)の期間です。その始まりは最終間氷期の最温暖期で,終わりは最終氷期と後氷期の境です。
したがって更新世後期は氷床が増減をくりかえしながらもしだいに拡大し,1万8000年前に最終氷期の極大期を迎えた後に急速に縮小した,ひとつの鋸刃状の気候変動の期間です。
その大きな鋸刃状の気候変動の中に,中規模の鋸刃状の亜氷期‐亜間氷期の気候変動を含み,その中にダンスガード‐オシュガー・イベントの小規模の鋸刃状の気候変動を含んで,全体に相似的な多重構造になっています。
氷期‐間氷期のサイクルや,亜氷期‐亜間氷期のサイクルは,段丘地形の形成に大きく関わっています。
最終氷期から後氷期にかけても,急激に氷床の縮小と海面の上昇が起こっています。
ただしその中に,数百年間の寒冷期(亜氷期)をはさんでいます。この一時的な亜氷期は“ヤンガードリアス期”と呼ばれています。
その原因として,まず急激に氷床が融けて北アメリカの内陸に巨大な淡水湖が生じ,ついにその出口をふさいでいた氷床も融けて今のセントローレンス川に沿って大量の淡水が北大西洋に一気に流入し,温かいメキシコ湾流の北上を止めたために寒冷化が生じたと考えられています。
完新世の始まりの1万1700年前(西暦2000年から数える)は,グリーンランドの氷床のボーリング・コアの中で,ヤンガードリアス期の終わりを示す位置の年代から決められています。
なお「ドリアス」とは,現在の北半球の極地や高山帯に分布するバラ科の植物で,今の日本列島で南アルプス以北の高山帯の砂礫地に見られるチョウノスケ草はその変種です。
ヤンガードリアス期やそのおよそ1000年前の寒冷期であるオールダードリアス期のヨーロッパの地層に,広くドリアスの花粉の化石が見られることから,これらの亜氷期の名前が付けられています。
氷河性アイソスタシー,ハイドロアイソスタシー
地球表面の大きなスケールの凹凸は,地殻の重さと,軽い地殻が重いマントルから受ける浮力とのつり合いで保たれています。これを“アイソスタシー(地殻均衡)”と言います。高い山脈の下では,それを支える浮力を生じるだけ地殻が厚くなっています。
大陸が厚い氷床に覆われると,その重さで氷床に覆われた地域の地殻が沈降します。逆に氷床が融けると地殻は浮力により上昇します。
ところが,マントルの粘性が大きいために,最終間氷期極大期から後氷期にかけての短期間の氷床喪失に,地殻の隆起が追い付いていません。北ヨーロッパのスカンジナビア半島は1年間に1〜2cmの隆起が観測され,氷河性アイソスタシー回復のための地殻変動が続いていると考えられています。
一方,氷床が融けて海水が増加するために,大洋底が下がる現象をハイドロアイソスタシーと言います。後氷期の約6000年前の最大海進時以後の海退の原因を,ハイドロアイソスタシーに求める考えもあります。
日本列島の氷河性海水準変動
図3-3
図3-3は最終氷期の氷床拡大のピーク(極大期)の海岸線です。
海水準は今より約120m低く,東京湾・伊勢湾・瀬戸内海などはすべて陸地になっています。東シナ海もほとんど陸化しています。当時の海岸平野は,現在は水没して大陸棚になっています。
北海道はサハリンを通じて大陸と陸続きになっていました。津軽海峡の今の水深は140mあり,当時も北海道と本州は隔てられ,動物の行き来は妨げられています(ブラキストン線)。
対馬海峡はきわめて浅く,日本海に対馬暖流が流れなくなりました。冬季の季節風に日本海から水蒸気が供給されなくなり,降雪量が減って冬の気候は乾燥したものになっていたと考えられます。
図の“周氷河地域”は,低温のため森林が成長できない領域で,一部は永久凍土になっていました。
図3-4
図3-4は後氷期の最大海進時(6000年前)の海岸線です。もともと貝塚の分布から復元された海岸線で,日本では“縄文海進”と呼んでいます。日本列島全域で,現在の標高では3〜5mの地点まで湾が侵入していました。
全地球的には後氷期の海進には地域差があり,氷期に厚い氷床に覆われていた地域では見られません。これは氷河性アイソスタシーによる隆起が海面の上昇を上回ったためと考えられています。
花粉化石から推定される植物の分布などから7000年前〜5000年前は完新世で最も温暖だったと考えられ,“完新世気候最温暖期”“気候最適期(ヒプシサーマル)”などと呼ばれています。日本列島では,気温は現在より1〜2℃高く湿潤でした。
最終間氷期の海進のピーク(12万6000年前)の海水準はもっと高く,関東平野のほとんどは海面下にありました
一方,日本列島では現在の山地と平野を造っている地殻変動を考えなければなりません。
たとえば図3-4の古河市付近は関東平野の沈降中心にあたり,300万年間で2000m沈降しています。そのため海進時の堆積層が次々と沈降盆地を埋めるように重なって平野が造られています。
日本列島の今の地形は,現在進行中の地殻変動が基本的な姿を造っています。その変動は300万〜200万年前から始まりました。
図4-1
図4-1は東北日本の2300万年間の地殻変動の変遷を推定したものです。西南日本も基本的には同じパターンです。
2300万年前には日本列島はまだアジア大陸の一部で日本海はありません。2000万年前ごろから日本列島は太平洋に向かって引っ張られ始めます。そのため地殻が薄くなり,ずり落ちる断層運動(正断層運動)を伴って列島の方向に平行に何列もの陥没盆地ができます。
1500万年前ごろ東北日本が反時計回り,西南日本が時計回りに回転しながら太平洋側へ大きく動き,背後に日本海が大きく開きます。沈降盆地は新第三紀の海の地層で厚く埋まっていきます。
この引っ張りによる変動は1300万年前ごろには終わり,しばらくはおだやかな時代が続きます。300万年前ごろまでには盆地は埋まり山地も低く侵食されて,日本列島全体がなだらかな平原状の地形になったと考えられています。
ところが250万年前ごろから日本列島には東西方向の圧縮力がかかり始めます。このため日本列島は東西に短縮するとともに,押しかぶさる逆断層運動や横ずれ断層運動を伴ってアコーディオンを押し縮めるように隆起と沈降が始まります。
これは現在も続いており,全国に1200基配置されているGPS観測点のデータでは,東京と福井の300kmの距離が1年間に3cm短縮しています
隆起している山地と沈降している平野
図4-2
図4-2は一等水準点の測量により得られた100年間の上下変動量です。一等水準点は明治時代に主な街道沿いに設けられた一等水準線上に配置され,20年に1回程度再測量されます。図は2000年現在のデータを100年前のものと比較して,その差を示したものです。
一等水準点は山地の稜線には無いので山地の隆起速度は図に反映されていませんが,平野の沈降量のデータはよく得られていて,現在沈降中の場所が平野になっていることが良く分かります。大平野の最近100年間の沈降量は40cm程度です。
赤石山地(南アルプス)の隆起が見えていますが,これは飯田市〜遠山〜水窪〜天竜二俣〜掛川市へ山中を通る秋葉街道の水準線で山地の隆起のデータが得られているためです。遠山の水準点は100年間に40cm隆起しています。
飛騨山地(北アルプス)には山地内に水準点が無いためデータが得られていないので,この図からは隆起速度を判断できません。滝谷花崗岩の上昇が140万年間に7000mと見積もられており,100年間で50cmの隆起速度になりますので,この図には描かれていませんが南アルプスと同様に隆起していると考えられます。
足摺・室戸・潮岬の上昇は1946年の昭和南海地震時の大きな隆起の影響で,現在は次の南海地震に向けて沈降中です。
山地の隆起の始まりと隆起速度
図4-3
図4-3は山地の隆起です。おおむね200万年前に隆起し始めていますが,地域差があります。
飛騨・赤石・丹沢・九州山地には,実線と破線の2つの解釈が描かれています。実線の方は,現在の稜線は隆起する前の平原の名残とするもの,破線は,かつての平原は現在の稜線よりも上まで上昇し,現在の稜線の高さまで崩壊と侵食により山体が失われたとするものです。
日本列島ではこの100万年オーダーの地殻変動が造る大地形に,10万年オーダーの気候変動と海面の上下変動が造る中地形が重なって,私たちが見ている地形が造られています。氷期‐間氷期のサイクルは,山地の崩壊や平野の埋積に深く関わっています。
氷期の山岳氷河と周氷河地域
図4-4
図4-4は,最終氷期の約2万年前の復元図です。
最終氷期には飛騨山脈(北アルプス)・木曽山脈(中央アルプス)・赤石山脈(南アルプス)や日高山脈に山岳氷河が存在したことが,氷河が侵食した地形や氷河が運んだ堆積物が残っていることから分かります。最終氷期の期間中でも何回かの氷河の前進と後退があった痕跡もあります。
それよりも前の氷期については侵食により証拠が残っていないため不明です。
図4-4で山岳氷河のまわりの暗色に塗られた広大な領域は寒冷のため樹木が育たない“周氷河地域”です。
周氷河地域では岩の割れ目に入った水が凍って割れ目を押し広げることが繰り返され大量に岩塊が生産されます。高山の稜線付近の平坦面は,周氷河作用で造られたとする考えが有力です。斜面は凍結と融解をくりかえしながらゆっくりと移動した岩塊に覆われたことでしょう。
氷期には海面低下により対馬海峡が狭まって日本海に暖流が流れ込まないため,冬季は冷たく乾いた季節風が吹く,岩屑に覆われた荒涼とした風景が広がっていたと想像されます。
山地で生産される大量の礫は山麓に扇状地を成長させます。
氷期に成長する段丘面と,間氷期に運び出される砂礫
図4-5
氷期の山地では凍結・融解作用により大量の岩塊が生産されます。それらは流れ下って山麓に扇状地を成長させます(図4-5河床縦断面図の上流部の空色の礫層)。
間氷期には山地が樹木に覆われて礫の供給が減り,雨量が増えて扇状地礫層の下刻と下流への礫が搬出されます。氷期の扇状地面は河岸段丘になります(図4-5上流の横断面図の2青色の面)。
隆起している地域ならば,次の氷期には扇状地面は持ち上がっているので埋まらず,少し下に扇状地面ができます。これが次の間氷期に段丘面になります。
河川のことを考えるときには,川のその部分が,礫が溜まる段階にあるのか運び出される段階にあるのか判断が必要と思います。
下流では間氷期には海面が上がり河床勾配が緩くなっているので,上流から運ばれた砂礫が大量に堆積します(図4-5下流の黄緑色の礫層)。
氷期には海面が下がるので深く下刻されます(図4-5河床縦断面図の下流の青線)。氷期に深く下刻された谷に間氷期の海面上昇で海水が侵入した場合は“溺れ谷”と言います(図3-4)。
沈降平野では,このプロセスを繰り返しながら,沈降した分だけ厚い堆積層で埋まっていきます。
伊那谷や鈴鹿山地東縁をはじめ,山地と平野の境では,氷期に大規模な扇状地を造っているのは隆起する山地からの河川です。その扇状地は山地側を持ち上げている活断層で1000年〜1万年に一度ていど,食いちがわされています(図4-5左下の活断層)。
地球の変動サイクルと人間活動の影響
現在は人間の側が地球に与えるインパクトが大きくなり,深刻な問題となっています。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は,人間活動が気候に影響をあたえていることは確実だとしました。
しかし人間の影響を考えるためには,人間の影響がないときに地球がどんな営みをしているのかを知る必要があります。地球は人間活動の影響が無くても大きな変動をくりかえしているし,海水準変動を含めて,それは受け入れなければならないと思います。
いろいろなサイクルの自然の営みの重なりと,変化の時間断面としてイメージできるようになりたいものです。
昨年,始まりの時期が見直された第四紀という時代は,現在の海洋水と大気の循環が地球スケールで成立した時代です。それは南北両半球に氷床が存在する“氷河時代”であり,氷期と間氷期という大きな振幅の気候変動を周期的にくりかえす時代であり,その結果大きな海面の上下変動をくりかえす時代であり,寒冷期には乾燥化が激しい時代です。
今は間氷期にあたります。ミランコビッチ・サイクルは天体の運動に基礎を持つものですから,基本的にはゆらぎをともないながらも寒冷化に向かうと考えられます。ただし,すでに間氷期のピークを過ぎたのか,もうしばらく温暖期が続くのかについては議論が分かれています。
日本地質学会 トップ→第四紀に関するQ and A(一般向き)
図5-1
国際層序表(部分)に注釈を加筆
※地層名と時代名の大区分〜小区分
地球史の年代区分には,おもに地層に含まれる動物化石の種や分類群の交代が用いられます。直接地層の年代を示す場合と,それらの地層に対応する期間を示す場合とで,年代名に異なる接尾語を付けます。大区分〜小区分のそれぞれに年代名が付けられています。
地層の区分:・・>界>系>統>階
時間の区分:累代>代>紀>世>期
Upper・Middle・Lowerは地層の場合は上部・中部・下部,時間の場合は前期・中期・後期と訳します。時代が明確で固有名詞的に用いる時には「上部更新統」「前期更新世」のように用いられています。
※模式露頭
地球史の年代区分には,おもに動物化石の種や分類群の交代が用いられます。多くの場合,化石が豊富で連続性が良い浅い海の地層の海生動物群が用いられます。大きな分類群の絶滅が大きな区分の境界になります。
年代区分を定義するためには,区分の境界をまたいで途切れずに堆積した地層が現れている露頭(模式露頭)を選び,露頭の中で境界面の位置を指定します。
第四紀の始まり(基底)の模式露頭は,これまでイタリアの地中海沿岸ヴリカのカラブリア層が選ばれ,オルドバイ正磁極イベント上限付近が境界に指定されていました。
今回の見直しで,これまで新第三紀鮮新世の小区分で一番新しいジェラシアン期の始まりとされていた,シシリー島モン・サン・ニコラの地層の松山/ガウス磁極期境界の約1m上の位置が,第四紀の始まりとされます。
松山/ガウス磁極期境界の2009年現在で採用されている放射年代は258万8000年前ですが,第四紀の始まりに決められた位置はそれより少し若い1m上なので,万の桁で言うときには切り捨てて「258万年前」を用いると説明されています。